ようこそ!

チューチャイのキックの鬼へのご訪問、御礼申し上げます。
楽しんでいただけましたか?コメントを残していただけましたら、幸いです。

月曜日, 12月 31, 2007

菅野孝憲さま

5年間になるんですね。
リトバルスキー時代に水原から、正GKの座を奪い、今では、他チームからオファーを貰うまで成長。
率直に、おめでとうと言う言葉が出る自分にびっくりしています。

それは、横浜があなたに提供できる道は、そろそろ先が見えてきたということを、感じているからかも知れません。

プロの職業人の文脈では、キャリアアップは正解。
だから、横浜の中のプロ中のプロのあなたの選択も正解。
感傷に浸る事無く、胸を張って頑張って欲しい。

プロフェッショナルとしてのあなたの武器。

体格をカバーする抜群のボールへの反応。
ゲームの流れをコントロールするインサイドワーク。
正確で、素早いフィード。
表現される闘争心は、我々を熱狂させてくれました。


スーパープレーの裏には、プロとしての真摯な日々があったことでしょう。
伸びる時にしっかりと伸びて、行くとこまで行って欲しい。

横浜サポーターとしての意地は、その冷静なプレーを狂わせるようないやらしいチームとなって
対峙すること。。。

Thanks a lot.

2004の伝説のゴール

御給匠に期待

C大阪や草津でJでのプレー経験もあるが「当時は本当に未熟で、サッカーが分かっていなかった。
ここに来て多くの試合に出してもらって、いろいろ見えてきた部分がある」と振り返る。
滋賀に戻れば、配達の仕事とサッカーの掛け持ち生活が待っている。
プロ選手と違い、営業向けに髪も染めず、短く保つことも義務付けられている。
それでも御給は「ここで学んだことを、いずれJで生かせれば」と前向きだ。


佐川急便がマリノスで天皇杯であたったあとの、日刊スポーツに出ていたコメント。
試合は、4-1で佐川が負けたものの、佐川の1点は御給が決めたもの。

身長187センチ。
富永英明以来のハイタワー。昨シーズン、背の高いFWがいればと歯ぎしりしていたから、待望の長身アタッカーだ。
年齢も24歳。出身は、吉武剛の2年後輩の津工業高校。

JFLの実績も十分。2007年シーズンは、得点王にして、MVP。得点は、2006年が30試合で21点。2007年が34試合で30点

因に、2006年のJFL得点王で、横浜にかつて在籍した柏の大久保哲哉の得点が32試合で26点
(大久保は、リトバルスキーの福岡に2008に所属。)

因に、2000年のJFL得点王にして、MVPは、横浜の有馬賢二22試合で24点。(2001年のJ2初年度は10得点)

良い補強だし、ブレイクを期待したい

山口素弘さま

冠省
フランスワールドカップで存在感を示した1998年、マリノスとの合併問題が起きた。
合併問題が起きた後も、キャプテンのあなたは、ピッチ上で静かに、思いを表現しているように見えました。

サッカー選手として全力を出す事に集中している、そんな感じが体から出ていました。

ミドルシュートの多かったあなたが、横国で豪快なオーバーヘッドでシュートを決めました。
三ツ沢での最終戦では、多くを語らず、ピッチの真ん中に、フリューゲルスの旗を差し立て、去っていきました。

天皇杯の賜杯を天に高らかにさし上げる顔は、プライドに満ちていました。
合併発表後、Jリーグをフリューゲルスは負ける事無く、天皇杯は優勝して消滅。

そして、あなたは名古屋、新潟で存在感を示しつづけます。

横浜FCが立ち上がり、幾星霜。2005年。再び三ツ沢のピッチに戻ってきました。
ピッチでの教育係のように、パスを要求したり、DFからの攻撃を要求。

2006年。一時期FKキッカー。ぶれ玉無回転に挑戦しているように見えました。
チームは昇格。その底にカズや同じフランスワールドカップ戦士の小村、城、そしてあんたの存在がありました。

2007年。城はJ1にあがることなく引退。あなたはキャプテンとしてチームの先頭に立ちました。
フリエはトップリーグでもがき、苦しんだ。
レアル監督就任以後、あなたへの信頼を示すように、使われ続けましたね。
Jリーグの開始当初から、あったあの雰囲気、プライドに満ちた、クールさ、”あの”天皇杯でもそれは見えたけれど、
今年の秋は、必死にボールを追うあなたの姿に、ルーキーの様な必死さを感じました
横国での新潟戦、ゲーム終了後、新潟サポ側に挨拶に行き、盛大な拍手を受けていた。これまでには見られなかった行動でした。
決意に溢れた浦和戦。
ボールは常にあなたを経由して横浜はゲームを支配しました。ベストゲーム。
中盤のポータルとして、リスクマネージャーとして、良い仕事でした。
フリューゲルス時代から見ていたいちサポとして、山口素弘さん 17年間 素晴らしい思い出をありがとうございました。
これからの活躍をお祈りしています。

                                   不一
PS 昔、子ども達の通っていた幼稚園が同じで、秋の行事の時に暖かいまなざしをお子らにおくられていたのをよくお見かけしました。
ホットなクールガイの一面でした。

日曜日, 12月 30, 2007

都並監督の取りたい

昨晩ニッポン放送に都並監督が生出演していました。

Jリーグ草創期ニッポン放送で”都並くんと藤川くん”をやっていたのを、よく聴いていたのですが、昨日の放送でも、その頃のエピソードが出ていました。

番組にありがちな質問コーナーで、

_取りたい日本人は?

「今野ですね」

_もし、お金がたくさんあるチームで、外国の一流選手を含めて
取りたい選手は?

「ワシントン。20点は固いでしょう。でも、たかいですよー」

因に、十八番のカラオケは、三好鉄生の「涙をふいて」だそうで、歌が流されたあと、
「来年、そうならないように(笑)」と自分で突っ込んでいました。

相変わらず、しゃべりは面白い。
同じ36年生まれ、期待してます。

水曜日, 12月 26, 2007

喜熨斗コーチさま

つとめ帰りに泳いでリフレッシュしてるんですが、
もともと速くないんでクジラのイメージで平泳ぎ。
700メートルくらいでちょうどいい感じ。
週に3、4回およぐんですが、
先日ジム下でお茶してたら、
どこかで見たようなバックビュー。

喜熨斗さんがお仲間と打ち合わせしていました。
新しいコーチが決まったということで、
退任なんですよね。

この3年間
ありがとうございました。

メディアセンターでの就任会見で足達監督と並び、
「熨斗袋のきのし」の挨拶ではじまり、一年目夏、選手を相当追い込んで鍛え、
だんだん走り負けなくなり、次の年の昇格につながったように思います。

現場発信の声を聞きたかったので、
ウッチーのブログとともに、
メッセージは貴重でした。

その姿勢に共感していました。

これからも益々の活躍を、期待しています。

火曜日, 12月 25, 2007

菅野孝憲の新人賞

Jリーグアオーズ2007で、菅野が新人賞を受賞。
コメントも行けてるじゃん!

水曜日, 12月 19, 2007

46年目の昼ご飯

今日の昼時、78歳の母から「昼ご飯を一緒に食べよう」と言う事で、職場の食堂で,母は山菜うどん、私はカキフライ定食。

大学を出た後、2年間出版社に勤め、その後、また学校に行き、資格を取って、病院に勤めて、19年。心配をかけた青年時代。

3人の子供を育てあげ、兄ふたりは、音楽学校の副校長先生と地方議会議員。

わたしも良い仕事につけて、4人の子供の父となりました。

46年前の姿を想像する事すら、できないうどんをすする母を見て、ありがとうの言葉もかけられず、昼休みは終わり,母は横浜から東京に帰っていきました。

浦和戦は全国放送。その夜、わざわざ電話をくれて、
「よかったじゃない,勝って、最後は万歳しちゃったわよ」

サポーターの母も、隠れフリエファン。

かあさん、ありがとね。
誕生日にわざわざきてくれて。
いつまでも元気でね。
季節が良い時に、生で試合見ようね。

月曜日, 12月 03, 2007

横浜FC VS 浦和レッズ

横浜FCのホーム最終戦は、1-0でホーム横浜FCの大勝利!
早速、スライドショーを作りました。
これまで、YouTubeにアップしていたけれど、このブログ中心に変えようかな,,,